奈良へ・・(8)




2017年11月29日(水) 曇り後雨



窓から外を眺めると

傘をさしてる方がいる・・

お天気・イマイチだなぁ・・











お部屋の目の前は猿沢の池











この階段を上がると興福寺











朝食はお食事処へ・・

目の前のお食事処を通り越して

どんどん奥へ・・

渡り廊下を渡ろうとした時

おくどさんが・・










昔・従業員がつかっていた所を

食事処に改装したそうです

昔の梁や柱をそのまま活かして

和の素敵な空間・・












おくどさんで炊いた新米・・

香りが良くて美味しいご飯・・

お味噌汁はしじみ汁

優しい味付け・・

とっても美味しかった・・

クマさん・・

ご飯のおかわりしてました・・












食後はロビーでコーヒーサービス












ゆったりした雰囲気のロビーで

コーヒーを味わう・・

どこまでも・・

和の美しさを追求した旅館・・

創業明治元年・・

140年の歴史を持つ旅館

綺麗に改装されて居心地のいい空間に・・




続く



奈良へ・・(7)




午後5時半・・

よしだや・・に到着

車は近くのPに24時間無料で止められます











目の前は猿沢の池

夕食は付けなかったので

荷物をおいて・・

散策に・・

ランチが遅かったから付けなくて正解でした・・

目の前の階段を登ると











興福寺・・











南円堂











ならまちの方に・・

ぶらぶらと・・












お腹は空いてなかったのですが

カレーの香りに誘われて・・

左が店員さんおすすめの

私の「わかくさカレー」小盛り・・

それでも半分残った・

ちょっとしょっぱかった・・

右がクマさんの4種類の味が楽しめる「あいがけカレー」

これにも「わかくさカレー」もはいってたから

こっちのほうがよかったかな・・













お部屋はこんな感じです・・

窓から猿沢の池がみえています・・

1階には大浴場・・

私達の泊まった4階には家族風呂が二つあります

空いてれば・・

いつ利用してもOK!

行くと二つとも利用中

部屋で時間をつぶして・もう一度見に行ったけどまだ使用中

しばらく前においてる椅子に腰掛けて待っていました

でてきたのはシニア男性一人

隣のもう一つの家族風呂に向かって

○○子・・って大きな声で呼びかけています

ご夫婦で

一つずつ使っていた・・


Σ(o゚ε゚´oノ)ノ マジッスヵ…


ってちょっと思った・・













お風呂は結構広い檜風呂

ゆったり手足を伸ばしてリラックス・・

檜の香りで癒やされましたぁ・・



続く







奈良へ・・(6)












中宮寺

法隆寺の東院(夢殿)に隣接している寺院で

聖徳太子の母

穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために

西の法隆寺と対象的な位置に建立された

日本最古の尼寺で

太子創建七か寺の一つです

瓦には菊の御紋・・



ここでちょっとお勉強

中宮寺には創建以来から守られ続けている「仕来り(しきたり)」があり

その仕来りと言うのが「門跡尼寺」と呼称するもの・・

門跡尼寺の「門跡」とは

皇族や身分の高い貴族などが僧侶へ転身することで

「尼寺」とは女性が管理する寺のことを指します

「門跡尼寺」とは

皇族の一族の女性が住職として運営する寺のことです

中宮寺の表御殿は

「宮家(みやけ)」と呼称される

皇族の一族をお迎えするために造営された御殿(住居)です



ということで

菊の御紋が使われています・・











表御殿(おもてごもん)(画像・右上)

江戸時代後期建立の書院造


そこで疑問がでてきますね・・

現在の中宮寺の住職は天皇の一族・・なの?

1871年(明治4年)5月

明治政府の「太政官布告第二百七十」と言う発令によって門跡制度は廃止

現在では皇族が下向して僧侶になると言ったことはありません

中宮寺の最後の皇族の住職は

1865年に死去した「成淳女王(せいじゅん)様」

「伏見宮家(ふしみのみやけ)」から下向されたご息女です

現在の住職は「日野西光尊さん」と言う女性の住職です


中宮寺本堂(画像左下)

昭和43年(1968年)に建立された鉄筋コンクリート製











菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう)

菩薩半跏像は日本が世界に誇るお宝

右手の指先を頬に向けた

思惟(考える)像の姿勢で

優美な微笑みをたたえる

世界三大微笑像のひとつで

アルカイックスマイルの仏像の代表格です


世界三大微笑像

スフィンクス(エジプト)
ジョコンダ夫人像(モナ・リザ/レオナルド・ダヴィンチ」
菩薩半跏像



法隆寺の観光はこれで終わりです

時計を見ると16時半近くになって

なんと5時間半も案内していただいたことに・・

お昼も食べていませんでしたので

世古さんにランチのできるお店を紹介していただき

ご一緒していただくことに












法隆寺の周りはこういう雰囲気の路地がたくさん・・

このあたりは4時になると

お店もほとんどしまってしまうそうです











2年ほど前にオープンしたという

このお店・・

cafeこもと

まだランチができますか?と世古さんが確認してくださって

オーナーさん・・

竜田揚げならできますよと・・

店内には可愛い雑貨が所狭しと並んでいます

すべて手作りの作品だそうです













竜田揚げランチ・・

凄いボリューム・・

観光している間・・

夢中になって聞いていたのでお腹が空いたと思わなかったけど

目の前に出てくると

どんどんお腹の中に消えていって・・

あっという間に平らげた・・

右下のお団子は

サービスで出していただきました












真ん中がオーナーさん

右が奥様・・左が従業員の方

並んでいる雑貨は

皆さんが手作りしたもの・・

cafeは副業だと笑ってました・・


(´∀`*)ウフフ


食事のあと

ここで世古さんとお別れ・・

世古さん・・

明日は太子の斑鳩寺にお仲間と行かれるそうです・・

太子・・我が家のテリトリー・・

車で10分ほどのところ・・

なんか

ご縁を感じます・・












さてさて・・

クマさんと法隆寺の外塀にそって

Pまで向かいますか・・


続く

 

奈良へ・・(5)










法隆寺東院 四脚門











四脚門をはいると

すぐに回廊があります

回廊を抜けると











夢殿

聖徳太子が住んだとされる斑鳩宮跡に

その遺徳を偲んで建てられた伽藍の中心で

奈良時代に建立されました

軒の深い八角円堂の姿は優美で神秘的です

中央の厨子には

聖徳太子等身と伝わる秘仏

救世観音菩薩立像(飛鳥時代作)を安置しています







法隆寺で買い求めた本より




救世観音菩薩立像

聖徳太子の在世中に作られた

聖徳太子の等身大の秘仏・・

クスノキの一木彫刻で

仏師は白土の下地に漆を塗り・金箔が押されています

像高は178.8cm

太子は当時としてはかなりの長身だったということになります

救世菩薩立像は

739年(天平11年/奈良時代)に夢殿に納められて以降

完全なる秘仏であり続けました

理由は不明ですが

当時・都で伝染病が蔓延し

政治の中心にいた人物も相次いで病に倒れ

これを聖徳太子の怨霊によるものと考えた人々が

供養のため夢殿を建てたとも云われています

救世観音菩薩立像は呪いを防ぐための封印?!

その「封印」を解くきっかけになったのは

明治時代

調査のためにフェノロサと岡倉天心によって法隆寺を訪れ御開帳を迫ったこと

解くと聖徳太子の怒りに触れ

天罰があると信じられ

法隆寺の僧侶すら拝めなかった秘仏

僧侶たちは

聖徳太子の怒りを恐れて

封印を解くことをかたくなに拒んでいたのです

フェノロサたちは法隆寺の僧侶たちへ説得に説得を重ね

やっとのことで「秘仏公開」となりました

像が布(長さ450メートル)や和紙でグルグル巻きに包まれていたおかげで

救世観音の保存状況は極めて良好だということで

製作時の金箔も多く残っているそうです


ちょっとお勉強

廃仏毀釈

薩長新政権がひき起こした「廃仏毀釈」

歴史上例をみない醜い日本文化の破壊活動です

俗にいう明治維新の動乱の中で

明治元(1868)年に薩長新政権が打ち出した

思想政策によって引き起こされました

直接的には仏教施設への無差別な

また無分別(むふんべつ)な攻撃・破壊活動のことです

これによって

日本全国で奈良朝以来の夥(おびただ)しい数の

貴重な仏像・仏具・寺院が破壊され

僧侶は激しい弾圧を受け還俗(げんぞく)を強制されたりしました

ひと言でいえば

薩摩・長州という新しい権力者による

千年以上の永きに亘って創り上げられた

我が国固有の伝統文化の破壊活動のことです



明治維新後の廃仏毀釈の際に

法隆寺は寺宝300点余りを皇室に献納しました

現在では

そのほとんどが東京国立博物館の所蔵となり

東京国立博物館内法隆寺宝物館で見ることができます













礼堂

上の画像(左側に建つ)が絵殿

下の画像(右側に建つ)が舎利殿

舎利殿は聖徳太子が2歳の春に東に向かって合掌されたとき

掌中から出現した舎利(釈迦の遺骨)を安置している建物です

現在礼堂のある場所は元々東院の中門にあたり

「東院資財帳」に記された「檜皮葺門弐間」のうち

長七丈・広二丈一尺とする建物の後身にあたります

「東院縁起」に「七間礼堂一宇」とあり

門と礼堂とを兼ねていたことがうかがえます

現在の建物は鎌倉時代に再建されたもので

寛喜3年(1231年)に棟上げされたそうです

四方の蔀戸(しとみど)を吊り上げると

東西の舞良戸(まいらど)以外は吹きさらしとなり

広々とした空間になります

かつてはここから夢殿を拝めたようです











東院鐘楼

下階の部分が

袴を穿いたようになった鐘楼を

袴腰付(はかまごしつき)鐘楼といい

中世以降に流行しました

東院鐘楼は応保3年(1163年)に建立されたと考えられ

袴腰付鐘楼の最古例とされています

現在の建物は

鎌倉時代初期に再建に近い大修理がされています

上階に吊るされた梵鐘は天平時代のもので

かつては中宮寺の鐘であったとされています













伝法堂(でんぽうどう)

聖武天皇の夫人である橘古那可智の住宅を

仏堂に改造したもので

東院の仏堂であるとともに

天平時代の住宅建築を伝える唯一の遺例です

切妻の白壁にくっきりと現れた

二重虹梁蟇股の架構は

天平建築の典型とされます

堂内は当時のお堂としては珍しい板敷きとなっていて

中央に来迎壁が設けられています


続く







奈良へ・・(4)











大宝蔵院を出て拝観道を南に行くと

東西に通る広い道に出ます













ここを左(東)に向けば

築地塀に開かれた大きな八脚門が目に入ります











東大門(とうだいもん)

もとは現食堂の前方に南向きに建っていましたが

平安時代に現在の位置に移され

東西に通り抜ける門になったと推測されています

門の形式は桁行を三間に分かち

棟通り中央間に扉を吊り

前後に八本の控柱を並べる一般的な八脚門です













東大門は「三棟造り(みつむねづくり)」という

奈良時代の建築技法で建立されています

「三棟造り」とは門の前後に屋根があり

その上にさらに大屋根を被せる形の建築構造のことで

屋根の頭頂部分となる横材の「棟(むね)」が3つあり

屋根が3つあることから「三棟造り」と呼ばれています

そのほか

柱の上方に細まりのあること

肘木には上面の笹繰や木口の張り出しのあること

二重虹梁蟇股式の架構がのびやかでかつ古式であることなど

どれをとっても奈良時代の特色をよくみせており

同じ八脚門である室町時代の南大門と比べると

その差を明瞭にとらえることができます












東門を入ってすぐのところに

南北の細い道が走っています

伽藍は真北ではなく約4度西に傾いているそうです

世古さんの持ってらした地図でみるとよくわかりますね・・

なぜなのかはっきりしたことはわかっていないそうです













法隆寺作業所













築地塀(ついじべい)・国の重要文化財

築地塀が傷みつっかい棒をしています

築地塀(ついじべい)とは泥土をつき固めて作った塀のことで

石垣の基礎に柱を立てて貫を通した骨組みを木枠で挟み

そこに練り土を入れて棒でつき固める

「版築(はんちく)」という方法













「版築」の回数が塀に境界線として残っており

近寄って見れば確認できるそうです。(そういわれれば確かにありますね)

塀の上には簡便な小屋組を設け

瓦や板などで葺いたものが多く見られます

コンクリートよりも強度がある築地塀

昔の方の技術の凄さに驚かされます



続く



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