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のんびり・ゆっくり・・

ゆったりと生活しませんか・・

ドイツの旅・・(11)



2018年10月19日(金)雲が多いが晴れ

朝食は6時から

夜は爆睡だから朝は5時には目が覚めてしまいます

支度をして食事へ













ホテルの朝食で生野菜がなかった・・

品数も少なかったし・・

それでもしっかり頂いたけどね・・

コーヒーは凄く美味しい・・

ドイツのコーヒー

これは絶対に買って帰らないと・・













外に出てみる

風もなくあまり寒くはない・・

予報では最高15度・最低6度・・

8時25分

ベルリン市内観光へ













368mのテレビ塔はアスパラガスとよばれているそうです

自転車に乗ってる方が多い・・

ベルリンは他のドイツの町と比べると

けた外れに大きいです

東京23区の1.5倍

西ベルリンと東ベルリンのふたつの町が

ひとつになった歴史もあり見どころも多いです













ベルリンの壁が見えてきました

ベルリンの壁とは何だったのでしょう・・

敗戦国ドイツは連合国によって西ドイツと東ドイツに

分断されました

首都だったベルリンは東ドイツ国内にありましたが

英・米・仏が西ベルリンを

ソ連が東ベルリンを分割統治しました

東西ベルリンの行き来は当初は自由でしたが

経済格差や政治体制への不満から

西ドイツへ脱出する東ドイツ人が増加する一方でした

一夜にして築かれた壁














このままでは国家存続の危機に陥ると判断した東ドイツは

1961年8月13日

東西ベルリンの境界線をすべて封鎖し壁を構築

突然家族と引き離された人も少なくなかったそうです

画像でわかりますでしょうか

東ベルリンの中にある西ドイツの飛び地の町

西ベルリン・・

これを囲むようにして「壁」がつくられました













東ベルリン市民は壁に近づくことも許されませんでした

それでも厳重な警備と壁を越えて命がけで

西側へ脱出した人もいました

しかし射殺されたり事故で命を落とした方も多く

その数は136人に及びます

1989年

外国への旅行の自由化と民主化を求める

東ドイツ国民の声が高まり

東ドイツ政府は11月9日に旅行の自由化を承認

歓喜のベルリン市民は検問所に押し寄せ

壁を壊したのです













この画が一番有名な

旧ソ連のブレジネフ書記長と

旧東独のホーネッカー書記長のキス画です

描かれた二人のキスは

戦後東ドイツを支配していた旧ソ連と

旧東ドイツの密接な関係を皮肉しているそうです

その画にひっつくようにして

中国人観光客がモデルよろしくポーズをとって写真・

なんポースも変えては撮る・・

一向にのいてくれません

添乗員の吉田さんが


皆さんも写真を撮りたいと思っていますので

交代してくださいませんか?



と声をかけていましたが

無視!

カメラをかかえて待っている私の隣にいた

欧米人男性も・・

何度も声をかけていますが無視されています

終わったと思ったら

交代してまた・・で・・

私・・切れちゃった・・

どいて!!・・

手を思いっきり横に降りながらそう叫んでました

聞く耳持ってません

更に


どいて!!


どいて!!!


どいて!!!!



_s(・`ヘ´・;)ゞ..






私の剣幕にびっくりしてやっと離れてくれました

その一瞬を狙って撮ったのがこの一枚です

撮った後

欧米人の男性から


(^_-)-☆


どこに行っても中国人は

自分さえ良ければいいという態度・・

マナーって言葉を知らない民族・・

ほんまに腹立つわ!

結局私達のツアー仲間

誰もここで記念写真を撮れませんでした













クマさんは

こちらの画と記念撮影・・













バスの中から見ると

あの画のところだけが・・

観光客でいっぱい・・


1961年8月13日深夜

壁(正確には鉄条網)が

一夜にして東西ベル リンの境界につくられました

午前2時

ブランデンブルク門のサーチライトが突然消え

銃を持った兵士・ジープ・トラック・装甲車が

かすかな光を背景にシルエットとなって浮かぴ上がりました

そのころ東西ベルリンをまたがって走る国鉄が止められ

境界線手前で乗客は降ろされ

車の連絡通路もほとんど遮断されました

この時

330万のベルリン市民は安らかに寝ていました

これにより53000人の越境労働者は職を失い

数十万の家族が引き裂かれ悲しみと嘆きの一日に

3日後には本格的な壁が建設されました

壁ができた理由は

東から西への流出を抑えるため(特に労働力の確保として)と

ベルリンで二つの貨幣が通用していたため起きた

経済の混乱をふせぐため・・

社会主義体制をとる東ベルリンと東ドイツでは

国家補助による低価格の日用品などが

強い西の通貨で安く買われてしまい

すべて東ドイツの負担に・・

これでは社会主義計画経済の前提が成り立たないということで

壁の構築へといたったのです・・





続く





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  1. 2018/11/22(木) 09:33:22|
  2. 世界遺産
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

 壁の崩壊直前のドイツを旅していました…本当に突然の崩壊と感じた出来事でした…機運が高まってパンパンな所に針だったのでしょうね…無血であっという間に壊された壁…この年は歴史に残る東西冷戦が溶け始めた年に♪
  1. 2018/11/22(木) 13:12:04 |
  2. URL |
  3. ひでわく #oyUv4a/.
  4. [ 編集 ]

(○´∀`)ノ゙こんにちゎ★

ひでわくさん

崩壊直前のドイツにですか・・

びっくりなさったでしょう・・

私もまだ壁があるときにミュンヘンへ・・

東ドイツは遠い存在でした
  1. 2018/11/22(木) 13:29:38 |
  2. URL |
  3. teapotto #j8FWC2bE
  4. [ 編集 ]

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