のんびり・ゆっくり・・
ゆったりと生活しませんか・・
ブルガリア・ルーマニアの旅・・(33)
2017年4月28日(金) 晴れ
午前8時ホテル出発

ルーマニアの首都ブカレストは
カルパチア山脈の南に広がるワラキア地方の南東部に位置します
人口は約188万人
20世紀初頭には「バルカンの小パリ」と称されるほど
美しい町並みを誇っていたそうです

第二次世界大戦では枢軸国側についたことで
連合国側の攻撃を受けました
その後の共産主義政権時代は
計画的な街づくりが行われた結果
無機質な街並みができあがることになります
1989年12月にはルーマニア革命の舞台となり
大統領だったチャウシェスクが
当時の共産党本部で行っていた最後の演説で
聴衆の反発の声に絶句するシーンは
世界各地で繰り返し放送されました
巨大な国民の館は
チャウシェスクが遺した夢の跡のようにもみえます
あの革命から四半世紀が過ぎ
旧市街の復旧も進んでいます

ブカレストに残るチャウシェスクの遺産
革命広場 旧共産党本部
チャウシェスク政権を打倒するルーマニア革命(1989年12月)が起こった場所
1989年の12月の出来事
12月16日
ルーマニア西部のティミショアラでセクリターテ(秘密警察)が
ハンガリー系のトケシュ神父を逮捕
それに抗議するために集まった信者と警察の間で小競り合いが起こる
それがティミショアラ市民による反チャウシェスク・デモへと発展
鎮圧のために軍隊が動員され・死傷者が出る
12月20日
チャウシェスクが軍の愛国的行動を賞賛するテレビ演説を行う
ティミシショアラ県全域への非常事態を宣言
12月21日
ブカレストの共産党本部前で
チャウシェスク支持のための官製集会を開く
チャウシェスクは共産党本部バルコニーから演説
集会参加者のなかから予期せぬざわめきが起こり
まもなくチャウシェスク打倒の叫び声が・・
チャウシェスクが狼狽する様子がテレビで実況中継される
12月22日
革命勢力の抗議運動拡大
チャウシェスク夫妻が共産党本部屋上からヘリコプターで逃亡
午後: ルーマニア国営テレビで革命への参加が呼びかけられる
共産党本部が占拠され救国戦線の組織作りが始まる
12月23日
チャウシェスク派と救国戦線との市街戦が続く
チャウシェスク夫妻が逮捕
12月25日
特別軍事法廷でチャウシェスク夫妻は死刑判決を受ける
即日銃殺刑にされる
12月26日
暫定政権が発足し
チャウシェスクの処刑が発表される

革命の犠牲者のための慰霊碑
広場に建つ大理石の慰霊碑は
革命で亡くなった1500人を超える人々への
追悼の意をこめて2005年に建てられました
隣には犠牲者の名前が刻まれた石碑もあり
今も献花が絶えないそうです

ブカレスト大学図書館とカロル1世の騎馬像
ヴィクトリア通り沿いにある
革命広場の隣に大学図書館があります
その前に初代ルーマニア国王の
カロル1世の騎馬像が建っています
大学図書館はカロル1世が作らせたもので
その記念として像が立てられたそうです

共和国宮殿(現在、国立美術館)
旧共産党本部から道路を挟んだ西側にあります
チャウシェスク時代
大統領府として使用されていました
ルーマニア革命の時には
この地下からチャウシェスクの側近の治安部隊が現れ
多くの市民が犠牲になりました
現在は一部が美術館として使用されています
1989年・革命広場での銃撃戦の戦火を受け
多くの絵画が消失してしまったのですが
量・質ともにルーマニア最大級の規模を誇っています
もともと宮殿だった建物を利用しているので
内部の装飾も非常に美しいそうです

クレツレスク教会
革命広場に建つ18世紀建造の教会
典型的なルーマニア正教の教会です

国民の館(現在は議会宮殿)
故チャウシェスク大統領が
日本円にして約1500億円を投じて造らせたという巨大な宮殿
部屋数は3107にのぼるそうです
世界中の官庁・宮殿などの建物のなかでは
ワシントンD.C.にある
アメリカの国防総省ペンタゴンに次ぐ規模だそうです
「国民の・・・」と言うのは名ばかりで
その実
私欲を満たすためのものだったのがよくわかります
宮殿内部は天井・壁・窓枠にいたるまで
純金の装飾が施されています

幅18メートル・長さ150メートルにも及ぶ
回廊Honour Gallery
高さ18メートル・総面積2200平方メートルの
大ホールUnion Hallなど圧巻だそうです
宮殿を支える大柱は
白・赤・黒・ピンク・ベージュの色をした大理石で
ルーマニア中から集められたそうです
まさに
贅の限りが尽くされていた陰で
国民は飢餓を強いられていたのです
現在は各政党のオフィスが入居するほか
国際会議やコンサートにも使われているそうです
どの建物も
外から見るだけで
内部は見ていません・・
国民の館だけでも
内部見学したかった・・
残念・・
続く

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コメント
§ ルーマニア革命…
分断された社会の壁が音を立て崩れていく初期の出来事でした…東欧革命において唯一、武力で倒された政権…私はヨーロッパ見分から帰国したばかりの出来事と記憶しています…色々な社会に蓄積した歪が一挙に壊されて行きました♪
§ ((((o´ω`o)ノコンニチワァ♪
ひでわくさん
おっしゃるとおりです
一連の東欧民主化の流れの最後にあたる政変は
ポーランド、ハンガリー、チェコの政変やベルリンの壁崩壊とは異なり
多くの市民の流血を伴い「ルーマニア革命」と呼ばれていますね
あの時代は
すごかったですね・・
P★
おっしゃるとおりです
一連の東欧民主化の流れの最後にあたる政変は
ポーランド、ハンガリー、チェコの政変やベルリンの壁崩壊とは異なり
多くの市民の流血を伴い「ルーマニア革命」と呼ばれていますね
あの時代は
すごかったですね・・
P★
§
チャウシェスク政権のころはテレビでよ~く見てたので
逮捕から処刑まで・・生々しく覚えています。
逮捕から処刑まで・・生々しく覚えています。
§ (* ゜ω`*)ノ☆。゚+.おはよう.+゚。☆
shiokoさん
私もそうです
処刑の場面・・
今でもはっきり映像になってでてきます・・
最後の最後まで
往生際が悪かったですね
私もそうです
処刑の場面・・
今でもはっきり映像になってでてきます・・
最後の最後まで
往生際が悪かったですね
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