高野山へ・・(7)




高野山には大明神様もいらっしゃいます











高野大明神(こうやだいみょうじん)

高野明神は

白黒の二匹の犬を連れ狩人の姿で

弘法大師を高野山に導いたと言われています

丹生明神(にゅうみょうじん)は

高野明神の母神様です

丹生明神さまは

イザナミノミコトの娘で

天照大神さまの妹神だそうです












立派な狛犬が守っていました











吽形の狛犬は

角が省略されていない古いタイプの狛犬です











六角経蔵(ろっかくきょうぞう)

鳥羽法皇の皇后であった美福門院が

鳥羽法皇の菩提を弔うため

紺紙に金泥(きんでい)で浄写された

一切経を納めるために建立された経蔵です

この紺紙金泥一切経は

美福門院がその持費として

紀州荒川(現在の那賀郡桃山町付近)の庄を寄進された事に由来して

荒川経とも呼ばれるようになりました

したがって

この六角経蔵は、別名「荒川経蔵」といいます

現在の建物は昭和9年(1934年)2月に再建されました

経蔵の基壇(きだん)付近のところに把手がついており

回すことができるようになっています

この部分は回転するようにできており

一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれています

この経蔵に納められた紺紙金泥一切経は

重要文化財として霊宝館に収蔵されています











金堂(こんどう)

高野山御開創当時

お大師さまの手により御社に次いで最初期に建設されたお堂

講堂と呼ばれていました

平安時代半ばから

高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきました

現在の建物は7度目の再建で

昭和7年(1932年)に完成しました

梁間23.8メートル、桁行30メートル、高さ23.73メートル

入母屋造りですが

関西近代建築の父といわれる武田五一博士の手によって

耐震耐火を考慮した鉄骨鉄筋コンクリート構造で設計、建立されました

内部の壁画は岡倉天心に師事し

日本美術院の発展に貢献した木村武山(ぶざん)画伯の筆によって

「釈迦成道驚覚開示(しゃかじょうどうきょうがくかいじ)の図」や

「八供養菩薩像(はっくようぼさつぞう)」が整えられました

本尊の阿閦如来(薬師如来、秘仏)は

洋彫刻の写実主義に関心をよせ

江戸時代までの木彫技術に写実主義を取り入れて

木彫を近代化することに貢献された

高村光雲仏師によって造立されました


続く










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コメント

§ 金堂は鉄筋に見えない

 再建の方針で鉄筋…写真からは木造としか…あたりに溶け込む容姿に…六角経蔵はチベットあたりの摩尼車からではと鎌倉でも感じていました…1回転で一度拝むと同じなど一緒の教え…少し調べてみたくなりますね♪

§ ぉばんm(*ゝω’*)mですぅ

ひでわくさん

そうなんです
一つ調べると
もっともっと知りたいと・・
奥が深いですね
σ(*´∀`*)ニコッ☆

§

高野山シリーズ・・たくさん写真撮ったんですね^^
お天気はいかがですか?こちらは雨ばかり・・

§ ヾ(✿❛ω❛ฺฺ)ノぉはよぉ~❤ฺ

shiokoさん

ここはとってもいいお天気になりましたよ
久しぶりのおひさま
σ(*´∀`*)ニコッ☆

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