奈良へ・・(13)











唐招提寺

唐招提寺は・南都六宗の一つである律宗の総本山です

多くの苦難の末・来日をはたされた鑑真大和上は

東大寺で5年を過ごした後

新田部(にたべ)親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を賜り

天平宝字3(759)年に戒律を学ぶための修行道場として

開いたことが始まりです

当初はあくまでも和上の私寺として

講堂や新田部親王の旧宅を改造した

経蔵・宝蔵などがあるだけでしたが

徐々に寺としての体裁が整ってきました

8世紀後半に鑑真和上の弟子の如宝が

金堂を完成させました

中世の兵火や明治時代の廃仏毀釈を経ても

寺観を失わず

多くの天平時代の伽藍や文化財を今に伝えています

入り口の南大門をくぐると

まっすぐ延びる参道の正面に金堂が見えます











金堂

2009年に平成の大改修を終えました

天平時代の姿を伝える金堂としては

大きさも含め貴重な建造物です







画像はお借りしています



内陣には像高3mに及ぶ盧舎那仏(ふしゃなぶつ)を中央に

巨大な三尊・乾漆造(かんしつづくり)国宝が並び

厳粛な空間を生み出しています

本尊・盧舎那仏坐像は宇宙の中心

釈迦の本地仏として中尊に

その東方に現世の苦悩を救済する薬師如来立像

西方に理想の未来へ導く十一面千手観音菩薩立像が

配されています


ちょっとお勉強

乾漆造とは

唐から伝わった技法で

奈良時代の仏像に盛んに用いられた技法です

麻布を貼り重ねた原型の上に漆を塗り細部を形作っていくのですが

木造よりもお金や手間がかかるため平安時代には衰退していきました

乾漆造には「脱乾漆造」と簡略版の「木芯乾漆造」があります

唐招提寺・金堂の3体の巨像は

奈良時代の乾漆造りを代表する貴重な文化財です












金堂の背後には

教義を説く為の建物である講堂が建てられています

講堂は

和上が当寺を開創するにあたり平城京東朝集殿を

朝廷より賜り移築したもので

平城宮唯一の宮殿建築の遺構です








画像はお借りしています





本尊弥勒如来坐像(鎌倉時代・木造・重要文化財)は

釈迦牟尼仏の後継で

将来必ず如来として出現し法を説くとされます

そのため通常は菩薩像ですが

本像は如来像として表現され

金堂の三尊とあわせて顕教四仏となる古式で配列されています

持国天立像(画像右上)・増長天立像(画像右下)の

二天(奈良時代・重要文化財)も

講堂内部に共に配されます








礼堂・東室(重要文化財)・・画像右の長い建物

鎌倉時代・弘安7(1284)年建てられました

南北に長い建物で従来は僧坊でした

かつては講堂を中心に西と北にもそれぞれ同様の建物があったようですが

東室・礼堂のみ現存しています

南半分の礼堂は毎年10月21日~23日に行われる

釈迦念仏会の会場となっていて

この時のみ内部が公開されます

清涼寺式釈迦如来立像が安置されています


舎利殿(鼓楼-ころう)画像右

鎌倉時代・仁治元(1240)年に建てられました

瀟洒な重層の建物で本来は経楼とみられますが

鎌倉時代に再建された後

鼓楼と呼ばれたようです

1階に和上将来の三千粒の仏舎利を安置しているところから

舎利殿ともよばれます

毎年5月19日には鎌倉時代戒律を復興した

大悲菩薩覚盛上人(かくじょうしょうにん)の

うちわまき会式が行われ

法要後・楼上からハート型の宝扇がまかれます











教蔵(画像上)

唐招提寺創建以前より存在していた最古の校倉造です

校倉造とは

校木(あぜぎ)と呼ばれる三角形の断面を持つ横材を

井桁状に積み重ねて壁とした倉庫建築のことです

建材であるスギやヒノキの特性により

温度や湿度の調節に優れ

古代より収蔵物を良好な状態で保存しておくことができる

倉庫として利用されてきました

壁の端には鼠返しと呼ばれる下向きに反った板が付けられていて

鼠などの侵入を防いでいますが

これは校倉が米などの食糧貯蔵庫として利用されていた名残でもあります

また

この鼠返しは・雨水を流す為の雨切の役目も担っています

唐招提寺経蔵の規模は・桁行三間に梁間三間

屋根は寄棟造りの本瓦葺きです

かつては垂木が一段の一軒(ひとのき)でしたが

改修により二段の垂木を持つ二軒(ふたのき)へと変えられています


宝蔵(画像下)

経蔵の隣には

同じく校倉造の経蔵よりも一回り大きい宝蔵が・・

こちらは経蔵とは違って新田部親王邸時代からのものではなく

唐招提寺が創建された時に新しく建てられたものです

宝蔵も経蔵と同じく

寄棟造りの本瓦葺きで垂木は二軒

柱間数も桁行三間・梁間三間と経蔵と同様ですが

宝蔵は経蔵よりサイズが一回り大きく作られています

また経蔵は比較的質の低い木材を用いて建てられていますが

宝蔵は樹心部分を含まない

良質の心去り材を用いて建てられている点も異なっています

このように校倉造が二棟並んで残る例は他に無く

極めて貴重な遺構であると言えます

現在は宝蔵の奥に鉄筋コンクリート造の新宝蔵が建てられていて

寺宝の多くはこちらに移されています











新宝殿

唐招提寺が伝える多くの文化財を

管理・収蔵するために昭和45年(1970)に建てられた

鉄筋コンクリートの収蔵展示施設です

金堂に安置されていた木造大日如来坐像(重文)のほか

旧講堂木彫群と呼ばれる

奈良時代末期に制作された多数の木彫像が収められています

開館期間:3月1日~6月30日、9月1日~11月30日、12月31日~1月3日
(※8月10日頃に数日間の臨時開館があります。)
開館時間:9:00~16:00







画像はお借りしています





右上から

薬師如来立像・・重要文化財 奈良時代(8世紀)木造

獅子吼菩薩立像・・重要文化財 奈良時代(8世紀)木造

衆宝王菩薩立像・・重要文化財 奈良時代(8世紀)木造

十一面観音立像・・重要文化財 奈良時代(8世紀)木造

如来形立像・・重要文化財 奈良時代(8世紀)木心乾漆 漆箔

金堂の鴟尾(しび)

奈良時代(8世紀)のもので

金堂の屋根に上げられていた2体の鴟尾のうちの西側(向かって左)のもの

この鴟尾は

天平時代に作られてから使用されている

現役の道具瓦としては唯一のもので

鑑真和上に同行した技術者が制作を指揮したと考えられるものです

もとは

東側のものだったといわれていますが

正面に亀裂ができたため西側に移されたようです







画像はお借りしています





勅額

木製 奈良時代

縦1.48m、横1.17m、材質は桧

寺伝では・講堂もしくは中門に掲げられていたものです

東大寺西大門のものともに

今に残る奈良時代の扁額で

その文字は孝謙天皇の宸筆と伝えられています

その書風は

東晋の書家・王羲之(おうぎし)の書風にならった行書で

周囲に飾りがついていたといわれます(現在の南大門のものは複製)











開山堂と鑑真大和上御身代わり像

開山堂は元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立され

その後明治14(1881)年に

鑑真大和上の尊像を安置するため現在の位置へ移築されました

国宝の和上像が御影堂へ移されたのち

覚盛上人・聖武天皇・徳川家康を安置した

本願殿として参拝されていましたが

御堂の老朽化をうけて改修工事を行い

鑑真大和上円寂から1250年になる平成25(2013)年

大和上のお姿を写した「御身代わり像(おみがわりぞう)」がつくられ

再び開山堂として落慶しました







画像はお借りしています





御身代わり像(御影像)は

年間数日しか開扉しない国宝の和上像に代わって

毎日参拝していただく目的で製作したものです

この像は奈良時代の脱活乾漆技法(特に国宝和上像)を忠実に踏襲した模造です











終わり・・

仏教のことたくさん世古さんから教えていただき

仏教には凄い世界観があるってことに

気付かされました・・

本当にいい旅でした・・






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奈良へ・・(12)




どんどんお天気が悪くなってきて・・

向かった先は











薬師寺

天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を願い

発願したのが始まりで藤原京に完成

平城遷都に伴い

養老2(718)年・現在地に移築されたと伝わっています

奈良移転当初は金堂・東西両塔・講堂・回廊が立ち並び

「竜宮造り」と呼ばれるほどの華麗さを誇ったこの寺も

16世紀に兵火に焼かれて灰となり

東塔(国宝)を残して創建時の姿を失い荒廃していましたが

昭和40年代からお写経納経による

勧進を全国で行い復興が始められました

現在はきらびやかな建物が並ぶ壮大な伽藍が

蘇りつつあります

雨は本降りになるし・・

修学旅行生とかち合ってしまうし・・

写真撮るのも見学するのも大変でした












大講堂

2003年に復興された

正面41m・奥行き20m・高さ17mという巨大な建物で

薬師寺の中では最大の建造物です

大講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で

これは南都仏教が数学を重んじ

講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためです






 
画像はおかりしています




大講堂の本尊には弥勒三尊像(重要文化財・白鳳時代)

後堂には仏足石・仏足跡歌碑(国宝・天平時代)が安置されています

仏足石の両脇に釈迦十大弟子も祀られています












西塔(画像左)

享禄元年に兵火で焼失し

昭和56(1981)年・白鳳時代の姿に復興

高さ約36m・・

高い基壇・反り上がった屋根など

東塔とは異なる箇所もあるようです

東塔は現在修復中で見ることはできませんでした


金堂(右上)

金堂は薬師寺縁起によると

二重二閣・五間四面・瓦葺の建物で

各層に裳階をつけた美しい堂で

竜宮造りと呼ばれています

享禄元(1528)年に焼け落ちてのち

豊臣家が仮のお堂を建てたのですが

同家の滅亡により約400年間

仮の金堂のまま時が過ぎました

昭和51(1976)年に復興された現在の金堂は

白鳳時代の様式を再現した壮麗な建物となっています








画像はお借りしています



薬師如来を中心に

向かって右が日光菩薩・左が月光菩薩

あわせて薬師三尊と言います

薬師如来は・東方浄瑠璃浄土の教主で

またの名を医王如来ともいい

私達の身と心の病気を救ってくださる仏様です

天平時代頃までの特徴で薬壺を持っていません

脇侍の日光・月光両菩薩様は

動きのある美しい姿で

理想的な写実美を完成した仏様ともいわれています











一度外へ出て

玄奘三蔵院へ・・

ちょうど玄奘三蔵院と大唐西域壁画公開中・・











玄奘三蔵院

経典を求めて17年間も旅をした

法相宗の始祖で「西遊記」のモデルとして有名な

玄奘三蔵の遺骨を守るお堂です







画像はお借りしています





伽藍内には長さ49mの

平山郁夫作「大唐西域壁画」も祀られています

「大唐西域壁画」は

平山画伯の30年に及ぶ取材旅行の集大成として

4千枚を超えるスケッチを基に

約20年かけて描かれた・・7場面・13壁面・・の超大作です











続く



奈良へ・・(11)



春日大社をあとにして

向かったのは

東大寺ではなく











若草山山頂

標高342メートル

面積33ヘクタールの芝生に覆われた山で

年に一度の山焼きで有名です

ボランティアガイドの世古さんから

是非・若草山山頂からの眺望をと言われていたです

お天気はどんどん曇ってきて











花嫁さんが前撮りをしていました

遠くから一枚・・












徒歩で登ってきた方がたくさん

お弁当を開いていました











この頃から

パラっと雨がきて

お天気がよければ

興福寺や東大寺がみえたのに残念!












鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)

若草山の頂上に築かれた全長103mの前方後円墳で

枕草子にも登場する「鶯塚古墳」

南側を向いた、標高300m以上の山頂にある古墳としては

我が国でも最大級に属しているそうです

通説で仁徳皇后の墓といわれているそうです


続く




奈良へ・・(10)











春日大社

いまから1300年ほど前の平城京遷都の頃

国の繁栄と国民の幸せを願って

国譲りを達成した武甕槌命を

御蓋山に迎えたのが始まりの神社

この時白い鹿に乗ってきたことから

奈良公園周辺の鹿が神の使いとして大切にされています

のちに称徳天皇の勅令で藤原氏が社殿を造営し

以降は式年造替制度により

20年毎に建物や調度品が新調または修繕されてきました


2016年11月

20年に一度の「式年造替」で新たな姿に・・



境内には本社以外にも数々の霊験あらたかな神社が点在

神々が集まってお住まいになる

まさに聖地・・












中門・御廊(ちゅうもん・おろう)

国宝の御本殿を参拝する高さ約10メートルの楼門

左右約13メートルにわたり

鳥が翼を広げたように御廊が延びています

御廊の内側一帯は

通常は非公開の神域になっています

中門を本殿と間違える方がいらっしゃいますが

ここは本殿ではありません・・


ここで注目

中門前の柵(一番手前の柵)は「稲垣」と呼ばれ

神前にお供えする稲穂をかけておくためのものです・・












御本殿をぐるりと取り囲む長さ約52mの東回廊

長さ約81mの西回廊には約800年にもわたって

様々な人から奉納された釣灯籠約1,000基がずらり

昔は灯籠と一緒に油料も奉納し

その油が続く限り毎日火が灯されていたそうです











御蓋山浮草峰遥拝所

奈良時代の初め平城京守護のため

鹿島の武甕槌命様が白鹿の背にお乗りになり天降られた神蹟

御蓋山の頂上浮雲峰の遥拝所

神護景雲2年(768)に御本殿が創建される以前から

神様がお鎮まりになる神奈備として崇められ

現在も禁足地として入山が厳しく制限されています












御本殿

屋根が曲線を描いて反り

正面に片流れの庇を付けた「春日造」と呼ばれる

神社建築様式の御社が四棟並んだ御本殿

右から

第一殿  武甕槌命(たけみかづちのみこと)様

第二殿  経津主命(ふつぬしのみこと)様

第三殿  天児屋根命(あめのこやねのみこと)様

第四殿  比売神(ひめがみ)様

が祀られています

ふだんは直接目にすることはできませんが

神様が移殿に遷っておられる式年造替の期間中は

特別に参拝が叶います

現在御本殿の祭典では神職の座る場所ですが

昔は興福寺の僧侶が御経をあげる場所でした

興福寺のところで説明しましたね・・











大杉

春日大社を見守り続けてきた

樹齢約800年~1000年の大杉

目通り周囲7.94m・高さ23mの大木

鎌倉時代の「春日権現験記」には幼木の姿で描かれています













大杉の根元から斜めに延びている木は

イブキ(柏槙 ビャクシン)で

直会殿の屋根に穴をあけてまで木を生かしているのは

春日独自の信仰によるものだそうです












藤浪之屋(ふじなみのや)

春日大社は灯籠が沢山あることで有名で

平安時代から現在まで奉納された灯籠がおよそ三千基あります

春日の灯籠は数が多いだけでなく

歴史的な資料としても重要で

現存する室町時代以前の灯籠の六割以上が

春日大社にあると言われております

2月の節分・8月14・15日の年2回計3日間

すべての灯籠に浄火をともす春日万灯籠が行なわれていて

この万灯籠神事を感じていただこうと

江戸時代まで神職の詰所であった藤浪之屋を開放・・

由緒ある建物の中で万灯籠の幽玄の美を体験できます












鹿みくじ・・

可愛いですね・・


クマさん・ひいたら・・


って言うと


いいわ・・(* ̄(エ) ̄*)


どこへいってもそういうのぉ・・

だから・ひいてません・・


o(*^▽^*)oあはっ♪











御間道(おあいみち)


御本殿と若宮社の間の道を尊んで御間道(おあいみち)と呼んでいます

850年以上も神官や崇敬者が往復した道で

本殿と若宮の間を百度千度万度と往還する祈祷も盛んでした











この道沿いには・古い石燈籠が立ち並びます

康暦2年(1380年)の燈籠を始め

室町時代から江戸初期の燈籠が多く

古くから信仰の道であったことを物語っています

東側は御蓋山の神聖な森で

道の中ほどに御蓋山山頂の本宮神社の遥拝所のしるしとして

小さな鳥居が立っています

真昼にも濃い影が落ち・石燈籠と共に森厳な景観を形作っています











若宮神社

正しい知恵を授けてくれるという神様

天押雲根命(あまのおおしくもねのみこと)を祀る神社です











若宮15社巡り

ご本社にお鎮まりになる4柱の神様のほか

霊験あらたかな神様が摂社・末社として合わせて61社お祀りされています

その中でも

とりわけ境内南側には若宮様がご鎮座され

その周辺は昔

参詣に訪れた人々が様々な思いを胸に

神めぐりをした場所として伝えられております

この辺りは

人が生涯を送る間に遭遇する様々な難所をお守りくださる神々が

若宮様を中心にお鎮まりになられております

ご参詣の皆様にも

ぜひこの若宮十五社を巡拝していただき

人間の一生をたどりながら

自身の生涯の安泰を心を込めてご祈願ください

日本で唯一ご夫婦の大國様をお祀りした夫婦大國社は

古く平安時代に出雲大社のご神霊をお迎えして

2体のご神像を彫刻したことに始まります

以来900年間、霊験もあらたかにお鎮まりになり

良縁・夫婦和合を願って叶えられぬことなしと

参拝大いに賑わってまいりました

このように各お社には

それぞれにご由緒があり

素晴らしいご神徳を拝することができるのです

どうか一人でも多くの方がこの15社のお社とご縁を結ばれ

神々様のご神徳によって幸多き素晴らしい人生を歩まれますことを祈念し

「若宮15社めぐり」のご案内をいたします

(春日大社ホームページより)













夫婦大国社

大國主命(おおくにぬしのみこと)様

須勢理姫命(すせりひめのみこと)様

夫婦円満・良縁・福運守護の神様











佐良気神社

蛭子(ひるこのかみ)神様(えびす神)

商売繁盛・交渉成立











金龍神社

金龍大神(きんりゅうおおかみ)

開運・財運をお守りくださる神様

後醍醐天皇ゆかりのお宮です










さらに奥に進んでいくと











新薬師寺まで「ささやきの道」を通って徒歩15分・・

なんと・・徒歩で行ける距離だったんだ・・


ささやきの小径は

もともとは「下の禰宜道(しものねぎみち)」という名前だそうです

禰宜というのは春日大社の神官のこと

ささやきの小径をぬけたところにある高畑は

もとは神官が住んでいた町

そこから春日大社に「出勤」するときに通った道が禰宜道です



次回に来たときは・・

禰宜道をつかって散策したい・・な・・











パーキングに戻って・・

移動です・・


続く




奈良へ・・(9)




チェックアウトをして

荷物を預け・・

猿沢の池を散策










猿沢の池は・・

興福寺が行う「放生会」の放生池として

天平21年(749年)に造られた人工池です


放生会とは

万物の生命をいつくしみ

捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式のこと












猿沢の池の七不思議


澄まず
濁らず
出ず
入らず
蛙はわかず
藻は生えず
魚が七分に水三分



猿沢池の水は

決して澄むことなくまたひどく濁ることもない

水が流入する川はなくまた流出する川もないのに

常に一定の水量を保っている

亀はたくさんいるが・なぜか蛙はいない・藻も生えない

毎年多くの魚が放たれているので増える一方であるにもかかわらず

魚であふれる様子がない

水より魚の方が多くてもおかしくないような池













猿沢の池の九重石塔と絹掛の柳碑(采女が衣を掛けた)


猿沢池の西北の隅に鳥居を背にした珍しい後ろ向きの神社があります

これが采女神社で

奈良時代に帝に仕えていた采女(後宮で帝の給仕をする女官の職名)が

帝のご寵愛が衰えたのを嘆いて猿沢池の池畔の柳に衣を掛け

入水したので・その霊を慰めるために社を建てた

しかし

采女は我が身を投じた池を見るにしのびないと

一夜のうちに社を後ろ向きにした

と伝えられています











お天気が気になります・・

ちょっと・・

パラパラとふってきた・・











興福寺へ向かいます

右がよしだやさん・・

この階段を上がるとすぐです










五重塔

高さは50メートル

県内一の高さを誇る塔です

藤原不比等の娘であった光明皇后が

天平2(730)年に創建したあと

焼失などで5度にわたって再建され

現在の姿は室町時代・応永(33)年の建築

軒下は太い木が複雑に組み合わされていて

技術の高さがう伺われます

全国の古塔のうち

京都にある東寺の五重の塔に次いで2番めに高い塔です


豆知識

明治時代初期・・

廃仏毀釈の影響で僧侶は

春日神社の神職にさせられ興福寺は廃寺同然に・・

その時期

五重塔はわずか25円で売りに出され買主があらわれたそうです

購入理由は薪にして転売し

利益をあげるのが目的だったと

しかし

解体費などから採算が取れないことがわかり

この買主は撤退

売却することができなかったと・・

当時この寺が存続の危機に立たされたことは確かなようですが

寺のウェブサイトによると

塔の売却については「あくまでも伝承の域を出ない」とあります

実際のところはどうだったのか分かりませんが

今日のように文化財保護という観点が未だ確立していなかった頃

貴重な建築物や彫刻工芸品の数々を守った人々の努力には

本当に頭の下がる思いです












東金堂(とうこんどう)

神亀3(726)年創建

現在の建物は応永22(1415)年に再建されたものですが

正面に丸柱が並び

奈良時代の様式をよく伝えています

堂内には国宝の仏像を多く安置しています

往時は

中金堂・西金堂・東金堂とあり

中金堂は現在修復中・・











南円堂

弘仁4(813)年の創建で

現在の建物は寛政元(1789)年に創建されたものです

西国三十三箇所観音霊場の第9番札所でもあります

中には国宝の不空羂索観音菩薩坐像と四天王立像が

安置されています











国宝館

2017年は耐震工事のため休館

通常非公開の仮講堂にて阿修羅像〈国宝〉をはじめ八部衆立像〈国宝〉など

国宝館の主要な国宝が公開されていましたが

秋:2017年9月15日(金)~11月19日(日)まで・・

それも承知で観光・・











阿修羅様を拝観することはできませんでしたが

仏頭を拝観することができました・・

685年に蘇我倉山田石川麻呂37回忌供養のために造立された本尊の頭部です

1187年に東金堂本尊薬師如来像として迎えられましたが

1411年に堂とともに被災

幸い残った頭部が1415年に再興された現東金堂本尊台座の中に納められ

1937年(昭和12)の東金堂解体修理時に発見されました













発見後

仏頭は帝国奈良博物館(現奈良国立博物館)にしばらく寄託されていましたが

国宝館が1959年に竣工したのを機に収蔵安置されました

国宝館の耐震にかかわる建物の大規模改修工事のため

一年間休館することになり

その間・東金堂へ還座・・

その後・・

車で向かったのは











新薬師寺

南門から入ると

入母屋造の本堂(奈良時代、国宝)

なだらかな曲線のお屋根と大きな白壁が

堂々とした天平建築を表しています

当初は本堂ではなく修行を行うためのお堂だったようです

本堂の西側から入ります







画像はパンフレットから




国宝に指定されている本堂の中には

同じく国宝に指定されている薬師如来像・十二神将が安置されています



ここでお勉強


仏の世界は大きく4つのグループに分かれています

「如来」「菩薩」「明王」「天」

「如来」は修行を終えて悟りを開いた仏さま

修行中の仏さまは「菩薩」

如来の分身として悪を砕く「明王」

仏の教えの守護神が「天」

薬師如来は文字通り「如来」に属し

十二神将は「天」に属します・四天王たちと同じ

四天王は東西南北の四隅に位置して如来や菩薩をまもっていますが

十二神将は干支と結びついて

もっと細やかな配置で薬師如来をまもる役割を担いました

苦行中の薬師如来を妨害する悪魔との闘いに挑んだ十二神将は

12の方角に分かれ・それぞれが7千の兵を率いて

総勢8万4千の大軍団を組織したのです

そして悪魔を追い払った後も

薬師如来に二度と悪魔を近づけないために

絶えず防衛に務め

12年周期の1年交代で総大将を決め

万全の体制で護衛を続けているのです












まだ紅葉がのこっていて綺麗でした・・

観光客も少なくて

凛とした空気感が

とても清々しい気持にさせてくれました・・


続く






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