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のんびり・ゆっくり・・

ゆったりと生活しませんか・・

ドイツの旅・・(16)



15時45分

サンスーシー宮殿と庭園・・

1990年周辺の宮殿・庭園とともに世界遺産の文化遺産に登録













サンスーシとは

フランス語で「憂いなし」の意味で「無憂宮」と呼ばれています

優れた軍略家・政治家でありながら

芸術・学問を愛するなど多彩な側面を併せ持つ

フリードリヒ2世が名付けました

隅々まで彼の人物像を反映させたこの宮殿には

常に最前線で死闘を繰り返し

政務に追われる憂鬱な気分を吹き払いたいという

願望が込められたものだそうです














サンスーシ宮殿は18世紀にプロイセン王国を強国へと導いた

フリードリヒ2世大王によって建てられました

宮殿は王の趣味だったフランスのスタイルが採り入れられ

ドイツ・ロココ様式の代表作といわれていますが

意外にも東西の全長が100m・部屋数12・平家建ての

小規模なものです

中心となる王の執務室ですら寝室兼用の質素なもの

外装も装飾面は比較的少なく

屋根は青・壁はクリーム色・その他の部分は白と

3色のみの塗装で極めてシンプルです

ただし

フリードリヒ2世は音楽室だけは不釣り合いなほど

豪華な装飾を施しました

「軍隊王」と言われた厳格な父と

宮廷人で芸術を愛する母から正反対の教育を受け

彼に大きな影響を与えました

合理的な国家経営者の顔と芸術家としての顔

この宮殿の正反対な作りはそんな彼の異なる顔を象徴するもの

目の行き届く小ぶりな宮殿は彼の何よりのお気に入りになり

夏の離宮として建設された宮殿は居城になっていきました














宮殿は丘の上にあり

階段状にはブドウやいちじくが植えられ

その傾斜を生かして6段のテラスが築かれています














決して大きな宮殿ではないのですが

こうしたテラスを組み込むことで印象的な風景になり

下から見上げた姿が素晴らしいです













ぶどう棚を上がった右側には

王と王の愛した犬たちが眠るお墓があります

王の遺体はかつてポツダムのガルニソン教会に

葬られていましたが

第二次世界大戦末期に

安全なテューリンゲンの岩塩坑に隠されました

戦後

ソ連支配下地域にあった遺体をアメリカ軍が取り戻し

以後46年間ホーエンツォレルン城に安置

東西統一を経た1991年8月に

ようやく王の生前の希望どおり

愛する犬たちとともに静かな眠りについたのです













戦勝により豊かなシュレジエン地方を併合した王は

重商主義政策で国力の充実を図る一方

信教の自由の容認や学校教育の改善など

啓蒙君主としての面目を発揮しました













ベルリン近郊ポツダムに

ロココ風のサンスーシ宮殿を築かせてここに住み

早朝から政務室に入って

国務の万般をみずから決定・指導した独裁的君主も

夜は著名な文人や芸術家を集めて

機知に富む社交のひとときを楽しむ王でした・・













1750年からおよそ3年間

フランスの啓蒙思想家ボルテールが

王の賓客としてこの宮殿に滞在していたそうです











290haの広大なサンスーシ庭園

1時間の観光時間はあっという間・・

16時40分

ドレスデンまで約204km

約3時間のバス移動です

途中トイレ休憩をはさんで

NHドレスデンホテルについたのは19時50分

夕食はホテルのレストランでビュッフェ・・












ビールと赤ワインで


(*  ̄▽)o□☆□o(▽ ̄ *) カンパァーイッ♪


可愛いお嬢さんを見つけたクマさん

一緒に・・


(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪


歩いた距離8.6km

12730歩・・上がった階段8階でした


続く



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  1. 2018/12/09(日) 11:48:53|
  2. 世界遺産
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ドイツの旅・・(15)



13時20分

次の目的地に向かって出発です

バスの中で添乗員の吉田さんから


残念なお知らせがあります・・

ドイツは7月からずっと雨が降らない酷い水不足で

ライン川の水量が減りライン川クルーズが中止になりました

こんなこと今まで一度もなかったことで

ドイツの方も驚いているそうです・・

雨が降って水量が増えたら運行するかもしれませんので

最後の最後まで諦めずに待ちましょう・・



干ばつで野菜も不作だそうで・・

生野菜があまり出てこなかったことにも納得でした・・









グリーニッケ橋

ドイツのハーフェル川にかかる橋で

冷戦時代は

アメリカ合衆国が支配する西ベルリンと

ソビエト連邦が支配する東ドイツとを繋ぐ立地から

米ソ間のスパイ交換の場として使われた事で知られています

ドイツの東西分断により封鎖されて

(橋の中央が東と西の境界で東の兵がいました)

一般人の通行は固く禁じられていましたが

ベルリンの壁崩壊と同時期に自由な行き来が再開され

現在は冷戦時代を象徴する観光名所となっています

2012年

冷戦時代にこの橋で行われたスパイ交換を描いた

スティーヴン・スピルバーグ監督の

映画『ブリッジ・オブ・スパイ』のロケ地として使用されました

これから向かうところは

ポツダムの

ツェツィーリエンホーフ宮殿









14時25分

Pに到着・・

バスを降りると目の前に綺麗にデコレしたバスが・・

落ち葉の絨毯の上を歩いて移動です・・










1990年に

宮殿の建物および庭園は

「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」の1つとして

ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました









ツェツィーリエンホーフ宮殿

宮殿はイギリスの別荘のようなスタイルで

いわゆる荘厳華麗な外観ではありません

しかし

内部は皇帝一族の居所らしく上品で落ち着いた雰囲気です

ホーエンフォレン家の最後の皇太子ヴィルヘルムが

家族とともに住んでいました

皇太子妃ツェツィーリアの名前がつけられ

1917年に完成しました









1918年にヴィルヘルム2世が亡命・退位したため

宮殿は国のものとなりました

その後1945年にはソ連軍に占領されてしまいます

宮殿の正面の星の形の植え込みはソ連の赤い星を表しています









写真を撮るには3ユーロ必要です

チケット売り場でお金を支払うと

腕にこれを巻いてくれます・・

ここでは日本語のイヤホンガイドを使用しての観光で

出発までフリータイムとなります









1945年5月のドイツ降伏後

連合国がドイツ戦後処理や

残る敵である日本について話し合うために

ポツダムのこの宮殿で会談(ポツダム会議)が行われました

ベルリン近辺で戦火を逃れかつ会談に適した宮殿が

この宮殿だったからだそうです









この部屋が1945年7月17日~8月2日に開かれた

ポツダム会議が開かれた部屋です

中央にはアメリカ・ロシア・イギリスの国旗が・・

ポツダム会議の会期中にアメリカ大統領のトルーマンが

広島への原爆投下を決定した場所です・・

日本人としては何とも言えない複雑な心境・・









外に出るとクマさんが椅子に腰掛けて難しい顔をしていました

声をかけても笑顔がありません・・


戦争に負ける・・って

こういうことなんや・・



の言葉が

身にしみました・・










宮殿の一部はホテルに使用されています










泊まってみる価値はありそうですが

観光の拠点にはどうでしょう・・










屋根の煙突1つを取っても

装飾がとても凝っているのがわかります・・










周囲は緑地で湖もあります

ぐるっと散策する時間がなかったのが

残念・・










バスに戻るとドライバーのベルナーさんが

洗車をしていました

Tシャツ姿のベルナーさん

かっこいいね・・


続く・・



passer-by さんのご指摘で誤りがありましたので

訂正させていただきます・・

1945年7月26日に連合国が発表したポツダム宣言に対し

日本政府(鈴木貫太郎内閣)・・

鈴木首相・東郷外相・米内海相らは

国体護持(天皇制維持)のみを条件に

受諾やむなしと考えていましたが

阿南陸将ら陸軍は受諾拒否を強く主張し意見が対立しました

首相は裏面での交渉の継続に期待して

回答を保留することにしたのですが

軍の強い要求によって態度の表明を迫られ

新聞で「黙殺」すると声明を出しました

連合国は「黙殺」を受諾拒否と受け取り

アメリカによる広島・長崎への原爆投下・・

ソ連の対日参戦に踏み切る口実を得ました

ポツダム宣言が「黙殺」されたため

8月6日・9日に広島・長崎に原子爆弾が投下され

8日にはソ連が参戦

戦局が一気に悪化しました

日本政府は御前会議(昭和天皇の参加する最高決定の会議)に

おいて激論の末

8月10日午前2時半・・

「国体護持」を条件にポツダム宣言受諾を決定しました

「国体護持」とは天皇制維持のことで

このまま戦争を続ければソ連参戦により共産主義の影響が及んで

天皇制が崩壊することを最も恐れたそうです

またアメリカ国内の一部には

天皇制擁護の声

(知日派の国務次官グルーは日本に終戦を受け入れさせるには

天皇制存続を認め、戦後の再建にもその方がアメリカにとって

有利であるとトルーマン大統領に具申していた)が

あることも情報としてはいっていたそうです・・



  1. 2018/12/06(木) 10:00:54|
  2. 世界遺産
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ドイツの旅・・(14)



ペルガモン博物館を観光した後は

徒歩にてバスまで移動です













ベルリン大聖堂

ホーエンツォレルン王家の記念教会で

ルター派の礼拝をおこなっている大聖堂です

もともとの教会がヴィルヘルム2世の命令によって

1905年に建て替えられ現在の姿となったそうです

ホーエンツォレルン王家の墓所で

114メートルの高さをもつ天蓋は

第二次世界大戦で被害を受けましたが

1993年に修復され現在の姿を取り戻しました

270段の階段を昇って天蓋部分へ出ることもできるそうです

圧倒的な美しさに写真を撮るのも忘れ

しばし呆然と立ち尽くしていました

残念ながら今回は外からみるだけで内部には入れず・・

もちろんフリータイムもなかったので

271段の階段をのぼることもできず・・

がっかり!!













旧博物館

博物館島(ムゼウムインゼル)の中にある

世界的にも有名な博物館で

18本の柱が並ぶ古代ギリシャ風の新古典主義様式の建築は圧巻!

19世紀の建築家シンケルの代表作です

当初はプロイセン王国の

王室コレクションの収蔵と展示を目的で建設されました・・

古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻などが並ぶ

アンティーク・コレクションが展示されています

ここでバスに乗り込み

車窓から













ドイツ連邦議会議事堂

ドイツの首都ベルリンにある連邦議会議事堂は

1871年に帝政ドイツが誕生して以来計画・・

建築家パウル・ヴァロットが設計し1894年に竣工した議事堂は

旧帝政ドイツの象徴的建築物でした

その後

第二次大戦末期にベルリンに侵攻したソ連軍によって爆破され

戦後は廃墟のまま放置されていましたが

1990年の東西ドイツ統一を契機に

連邦議会のベルリン移転が決まり

1999年にイギリス人建築家ノーマン・フォスターの設計による

現在のガラス張りのドームを持つ連邦議会議事堂が完成しました

つまり

この建築は二度に渡るドイツ統一に関わってきた

象徴的な意味を持つのです・・

外観は保たれていますが中身は完全な新築で

ファサード保存のような形になっています











12時18分

レストラン・・ビストロカフェ

まずはビールで


(*  ̄▽)o□☆□o(▽ ̄ *) カンパァーイッ♪


スープ・・

カレーブルスト(ソーセージ)

ベルリン生まれのカリーヴルスト

焼きソーセージの上にケチャップと

カレーパウダーが軽くふりかけてるベルリン名物です・・

ドイツと言えばソーセージ

ビールとの相性が最高!!


ヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ


デザートはヨーグルト・・



続く・・






  1. 2018/12/03(月) 11:31:21|
  2. 世界遺産
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ドイツの旅・・(13)




ブランデルグ門から東へ延びる

広大な並木道ウンター・デン・リンデン
















その東端に立つ

フリードリヒ大王の騎馬像

通リの東端が世界遺産に登録されたベルリンの博物館島で

5つの博物館・美術館があります

島というのは市内を流れるシュプレー川の中州のことで

19世紀半ばから次々と博物館や美術館が建てられていったので

博物館島と呼ばれています

博物館島の中でも必見なのが「ペルガモン博物館」














私達は

そのペルガモン博物館を見学します
















チケット売り場から中へ

壁には砲弾の跡が生々しく残っています・・














入ってすぐ階段を上がると

最初に目に飛び込んでくるのが

鮮やかな青色が美しいイシュタール門・・

古代バビロニアで紀元前6世紀に建設されたもので

青い彩釉煉瓦の壁に想像上の動物が描かれています

イシュタールとは戦いの女神で

彼女を守っているのが聖なる動物ライオン

そこへ続く道が素晴らしい!!














ライオンの行進通り・・

門と同じ青彩釉煉瓦の壁にライオンが描かれています

通りの幅は20メートル以上ありましたが

ここでは3分の1に縮小され

30メートルだけが再現されています













ライオンの模様のところだけは浮彫の煉瓦で

オリジナルです・・

他の模様は平面の煉瓦でコピーです・・

色彩も濃淡の青・水色・金色・茶色・

オフ・ホワイトの色使いで引き締まっています・・













イシュタール門

行列通りの模型です・・













木箱(右下)の中にはタイルの破片がはいっています

この破片を丁寧にパズルのようにつなぎ合わせる

気が遠くなるような作業です・・













ミレトスの市場門

イシュタール門をくぐると

ミレトスの市場門が復元展示されています

ミレトスとは

現在のトルコのイズミールの南あたりにあった

ギリシア人の植民都市です・・

129年に造られた大理石製の門で

高さ17m・幅29m・重さは1600トン・・

ヘレニズムの伝統を受け継ぐギリシャ様式の円柱と

ローマ皇帝時代のアーチが特徴的です・・














ミレトスの市場門の向かい側には大きなバルコニが・・

115~130年頃に造られたもので

ペルガモン神殿の囲いになっていました














市場門とバルコニーの間には

巨大なモザイク床が・・





















ムシャッタ宮殿

初代イスラム王朝のウマイヤ朝時代に造られた砂漠の宮殿で

ムシャッタは

ヨルダンのアンマンから南に25㎞離れたところです

宮殿は約1300年前に

カリフのアル・ワリード2世の命で建てられはじめましたが

アル・ワリード2世は暗殺されてしまったため未完成に終わり

5年後の地震によって上部も崩壊してしまいました

1840年プロイセンのウィルヘルム2世の配慮によって

宮殿を文化遺産として保護しようという働きかけがあり

1903年にオスマン帝国のスルタンからベルリンに寄贈され

ムシャッタ宮殿の外壁の一部が

ペルガモン博物館にて展示されることになりました














なぜここに巨大な遺跡がそっくりそのまま展示されているのか・

1864年

道路建設の技師であったカール・フーマンが

トルコのベルガマで地中から発見された瓦礫の破片に注目し

すぐにベルリン王立博物館に連絡し

発掘すべきではないかと進言しましたが

誰も注目しなかったとか・・














それから13年の月日が流れ

フーマンがベルリン王立博物館に送った

瓦礫の破片に注目したのは

ベルリン王立博物館彫刻資料館長のアレクサンダー・コンツェ・

1878年

オスマン帝国と発掘権を結んで大規模な調査団を派遣・・

発見した遺跡は紀元前2世紀〜1世紀の

アッタロス朝ベルガモン王国の遺跡でした

オスマン帝国と有利な条件で契約していたコンツェは

発掘した石像の破片や大理石の円柱をベルリンに送り

ベルリンで困難な復元作業が行われました

復元されたのは古代の大建造物「ゼウスの大祭壇」と

数々の彫刻・・

この建造物を屋内に展示する計画が持ち上がり

1910年に博物館の建設が始まり1930年に完成・・

その後

1939年に第二次世界大戦が勃発しドイツは敗れ

「ゼウスの大祭壇」は多くの美術品と共に

ソ連が戦利品としてレーニングラードに運び去りました

1949年

ドイツは分断されて東ドイツが誕生し

博物館島は東ドイツの領土となりました・・

1958年

ソ連は運び去った美術品を同盟国の東ドイツに返還し

1959年にペルガモン博物館は再開されました













外に出ると

シュプレー川の中洲に博物館が集まっているのが

よくわかります

ペルガモン博物館は楽しみしていました

特に見たかったのが

古代ギリシャのペルガモン(現トルコ・ベルガマ)で

発掘された「ゼウスの大祭壇」だったのですが

前もって調べてみると2019年ころまで

「ゼウスの大祭壇」があるホールは閉鎖中とのこと・・

残念!!













ゼウスの大祭壇の画像だけでもと

Wikipediaから画像をおかりしました・・

見たかったなぁ・・・



続く・・



  1. 2018/11/30(金) 11:40:39|
  2. 世界遺産
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ドイツの旅・・(12)












崩壊したベルリンの壁の破片は

ベルリン土産として大人気だったそうですが

その多くは破砕されて道路舗装などにリサイクルされました

その壁と別れを告げると間もなく見えるのが













高さ368mのテレビ塔

その手前に赤の市庁舎と呼ばれる市庁舎・・

赤の市庁舎は1869年に建てられた建物で

外壁が赤レンガと花崗岩を使用していて赤く見えることから

赤の市庁舎といわれています

東西分裂時代には

東ドイツのベルリン市庁舎として使用されていた赤の市庁舎は

統一後もベルリン市庁舎として使用されています

中央にある鐘楼は毎日正午になると鐘が鳴らされます

ここから左折れをして川を渡ると

西ベルリンです













第二次世界大戦で破壊された

カイザー・ヴィルヘルム記念教会

19世紀末に建てられたネオロマネスク風の教会で

第2次世界大戦の砲火で無惨に破壊されました

戦争の恐ろしさを伝える記念碑として

建物が破壊されたままの状態で永久保存されています













戦勝記念塔ジーゲスゾイレ

1865年~73年に建てられた高さ67mの塔・・













塔の上には金色の勝利の女神ヴィクトリアが・・

1864年の対デンマーク戦争

1866年の対オーストリア戦争

1870年~71年の対フランス戦争の勝利を記念し建てられました

頂上は展望台になっていて

エレベーターはなく285段の階段をあがります

映画「ベルリン・天使の詩」の中で

シンボル的な存在となっていた所です













10時

ブランデンブルク門













1788年~91年にプロイセン王国の凱旋門として

アテネの神殿の門を手本にして建てられました













ドイツ古典主義建築の傑作といわれています













門の上の勝利の女神と4頭立ての馬車カドリガは

1806年にプロイセンを破ったナポレオンが

パリに持っていってしまいましたが

1814年にベルリンに戻りました

東西分断時代は門のすぐそばに壁が築かれていたため

この門をくぐることはできませんでしたが

今では誰もが通れるようになりました












ドイツ最大の都市「ベルリン」は

世界の大都市の中でも数奇な運命をたどりました

1945年にヒトラー率いるナチスドイツ敗戦により

ドイツは東西に二分され・・

アメリカ主導で資本主義国として再出発した西ドイツは

「ライン川の奇跡」と呼ばれる経済復興を遂げ

わずか数十年で世界有数の経済大国に躍進・・

一方の東ドイツ(ドイツ民主共和国)は

ソ連主導で計画経済を運営してきましたが

経済力や所得水準

産業技術や企業経営の面では

西側から大きく立ち遅れてしまいました

その時の首都ベルリンは











東ドイツ領のなかに囲まれていました

ベルリンは

資本主義体制の西ベルリンと

社会主義体制の東ベルリンに二分され

その境界に「ベルリンの壁」が建設され

人々の行き来は厳しく制限されていました

当時は

東ベルリンが東ドイツの首都・・

西ベルリンは西ドイツのなかで最大都市という位置づけでした

資本主義と社会主義の違いによる

東西経済格差は誰の目からみても明らかでした












1989年「ベルリンの壁」が崩壊

翌年には

西ドイツが東ドイツを吸収する形でドイツ統一・・

首都はベルリンに定められました

統一直後はGDPも可処分所得も

東ドイツ地域は西ドイツ地域の40%以下・・

旧西ドイツ地域の住民は連帯税という税金を連邦政府に払い

それが旧東ドイツ地域のインフラ整備や

失業者の年金に充てられていて

西が東の経済を支援する状態は変わっていません

ドイツ統一は西側の住民には「税負担」というかたちで

東側の住民には「人口流出」というかたちで

それぞれ大きな負担になりました

経済格差を大きく残した状態で国家統一

住民の移動が自由になった結果

東側の住民が良い給料・良い暮らしを求めて

西側に移住し続けたのです・・

2014年に統一後はじめて「西から東」への人口流動が

「東から西へ」を上回りました

その主な原因は

ベルリンは首都なので仕事が豊富にある上

旧西ドイツ地域より家賃はじめ生活費が安いから

旧西ドイツ地域から首都ベルリンおよび周辺地域への

大規模な移住が・・

ベルリン全体を旧東ドイツという前提でいうなら

ベルリンが東側で独り勝ちして

西側の人口を惹きつける程の発展を遂げています・・

ベルリンだけでいうなら

旧東ドイツは新しく近代的で

旧西ドイツは手入れをされず古くなってきている・・

逆転してるのです・・

私のイメージとは全く逆だったことが衝撃でした・・



続く・・





  1. 2018/11/24(土) 21:31:29|
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