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のんびり・ゆっくり・・

ゆったりと生活しませんか・・

ドイツの旅・・(45)















ハイデルブルク城から見下ろした時は

一面赤い屋根が印象的でしたが

旧市街を歩くと

建物はカラフルでとっても可愛いです・・





















ハイデルベルク大学

選帝侯アルプレヒト1世が1386年に創設した

ドイツ最古の大学です


















大学広場の真ん中には噴水があり獅子の石像が・・


















この獅子・・

舌をだしていて愛嬌がありました・・

獅子はプファルツ選帝侯の紋章です・・



















旧大学校舎の裏側の通りに以前のままに保存されているのが




















学生牢

かつてのハイデルベルクは

大学法治という珍しい自治が行われていたため

警察は一切介入出来ませんでした




















そこで大学当局自らが悪事を働かせた学生たちを捉え

収容する牢屋を作ったのです

実際に使用されていたのは1712~1914年で

記録によると3日間~3週間程度の収容でした




















投獄生活中でも受講は奨励され

講義が終わると牢屋に戻るという生活を送ったという

非常に生ぬるい処罰だったようです

しかも学生はむしろこの獄中生活を「名誉」としていたようで

この学生牢を

「王座の間」「グランドホテル」などと呼んでいました

また学生牢の壁じゅうには

収容された学生達の落書きが残っているそうです

このあと各自で聖霊教会のあるマルクト広場まで




















路地からの風景も絵になります





















カリーブルストのお店発見

ソーセージの上にオリジナルブレンドのケチャップソースと

カレーパウダーをかけたものです


ヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ


クマさんの顔を見ていただけると

美味しいのがわかりますね・・

私達が食べているとツアー仲間さんがやってきて

みなさんも食べてましたよ・・





















そろそろ時間・・





















マルクト広場は目の前・・

全員揃ったらバスの待っているところまで移動です




















カール・テオドール橋

選帝候であったカール・テオドールの命によって

1786~88年にかけて建造されました

前身は屋根で覆われた木橋(橋脚は石)でしたが

1784年2月27日のネッカー川の洪水によって流され

現在のものは9代目です・・





















ハイデルベルク城がちょっと見えて・・

名残惜しいけどお別れです・・

17時45分・・

ローテンブルグまで

約166km・約2時間30分のバス移動




















途中・・

原子力発電所が・・


続く・・




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  1. 2019/04/19(金) 19:26:51|
  2. 世界遺産
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ドイツの旅・・(44)














ケーブルカー(フニクラ)乗り場に16時30分集合

画像の左上にフニクラ乗り場が・・


















下に降りて

振り返ると・・

ハイデルブルク城・・


















旧市街の中心であるマルクト広場に・・

















マルクト広場

中世の頃には

この広場で公開裁判や罪人の処刑が行われたそうです

中央にはヘラクレスの泉と呼ばれる噴水があり

その噴水のところに1740年までトリラーという

大きな鳥かごのような簡易牢獄がおかれ犯罪人を入れ

くるくる廻し見せしめにしたということです・・

今では

市民の憩いの場でありお祭りの開かれる場ですが

町の歴史の舞台となってきたところです・・



















市庁舎・・(画像右側)

プファルツ継承戦争で

ハイデルベルクの町が破壊された後

18世紀の初頭に建てられたバロック様式の建物で

その後何度も増築されています・・


















精霊教会

ハイデルベルク城のテラスから一際目立っていた聖霊教会

選帝侯ルプレヒト3世が1400年前後に起工しましたが

内部・塔と順に建築され

今のような形になったのは1544年のことです

見事なゴシック様式の建築で尖塔の高さは82m!

ルプレヒト・カール大学の祭宴の場でもあります

この教会も

ハイデルベルクを襲った2つの戦争によって大きな被害を・・

この教会に所蔵されていた

「パラティーナ文書」といわれた蔵書は紛失を恐れて

すべて鎖につながれていたと・・

そのように大切に保管されていましたが

30年戦争の際

ティリー将軍はこの蔵書を戦利品としてローマに・・

また

聖霊教会は代々のプファルツ選帝侯の埋葬地でしたが

プファルツ継承戦争中の1693年にほとんどの墓が破壊され

難を逃れたのは

唯一ルプレヒト3世と妃のエリザベートの墓のみに・・


















この教会もかつての宗教戦争

“カトリック vs プロテスタント” に巻き込まれ

紛争の原因にもなりました

カトリックの教会だ!

いや!プロテスタントの教会だ!という争奪戦の末

1706年に教会内に

カトリック用とプロテスタント用の仕切りまで作られたとか


















長年の紛争や戦争を経て1936年に壁は取り除かれ

今ではプロテスタントの教会として

穏やかな雰囲気が漂っていました・・


















教会入口のそばには

燃えるような赤のステンドグラスで印象的な窓が・・

これは

大学の学部を象徴するようなデザインで

窓を飾ろうというアイデアがあり作られた「物理学の窓」

聖書の引用と広島に原爆投下された悲劇の日付が刻まれています

赤いのは愛でなく暴力を表しています・・


















ツム・リッター(騎士の家)

聖霊教会の前には

ツム・リッター(騎士の家)と呼ばれる

ハイデルベルクで今も残る最も古い民館があります

今はホテル・レストランに・・


















1592年に

フランス人のシャルル・ベリエによって建てられた

ルネサンス様式の建物です

プファルツ継承戦争でフランス軍によって町が破壊されたとき

唯一破壊を免れた建物だそうです

建築主がフランス人だったから

フランス兵による焼き討ちを免れたとか・・


続く・・





  1. 2019/04/15(月) 19:53:07|
  2. 世界遺産
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ドイツの旅・・(43)














フリードリッヒ館の裏手に広がるアルタンと呼ばれるテラス

アルタンは古いアラビア語で「朝夕の赤」を意味するそうです



















このテラスには

大きな足跡というかくぼみが残されています

















言い伝えによると

選帝侯の妃が若い騎士をベットに引き入れて浮気の真っ最中

ところが

狩りに出て行ったはずの選帝侯が突如帰ってきて

びっくりした浮気相手の騎士は

取るものもとりあえず靴だけはいて

妃の部屋の窓から飛び降りたときの足跡がこれとされています

この足跡にピッタリ合う人は浮気性!!

ということで

クマさんも合わせてみました


Σ(゚Д゚;)アラマッ


ぴったりやん・・

他の方も合わせていましたが

なんと・・皆さんピッタリ・・


ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆




















眼下には

旧市街の赤い屋根の町並み

ネッカー川の流れ・対岸のハイリゲンベルクの緑の森が・・



















選定侯がアルタンテラスから眺めていたであろう・・・

この絶景・・

何百年前と同じ風景に出会えたことに感動・・



















聖霊教会(真ん中左寄りの黒い塔の教会)

アルテ・ブリュッケ(古い橋)などがみえています・・



















アルタン=朝夕の赤

朝日か夕日の絶景が見たかったなぁ・・

残念・・


















アルタンのすぐ隣

フリードリヒ館の正面に戻って

今度はワインの大樽のために建てられた大樽棟へ




















大樽の中はカフェになっています

ここでワインも飲めます・・・

大樽発見・・と思いきや

これは世界一の大樽ではありません

この奥に進むと・・そこに・・



















..・ヾ(。><)シ ぎょぇぇぇ

大樽といっても所詮ワインの樽でしょ…

なんて甘く見てた私・・

あまりの大きさにびっくり!!

左上の人物と比較してくださいね・・

1589年~1592年にかけて

ヨハン・カジミールが最初に作った巨大なワインの大樽です

祝杯の際に宴会場にすぐにワインを運び出せるよう

王の広間に隣接して建設されました

現在見られる大樽は4代目で

1751年カール・テオドールが造ったものです

直径7m・長さ8.5m・・

初代のヨハン・カジミール大樽の容量は約127,000ℓ

現在見られる4代目のカール・テオドール大樽は

219,000ℓほどの容積があります

CとTの

カール・テオドールのイニシャルである紋章が飾られていて

130本の樫の木からできているそうです・・




















階段を上がって棚の上の踊り場に上がり

一回りしてみると樽の大きさが実感できます・・

当時は税金の代わりとしてワインを納めることができ

この樽におさめられたワインは

いろいろな畑のものが混ざり合い

アルコール度が5%くらいで質的には良くなかったと・・

ここにも落書きが・・

日本語でないから何故かお洒落にみえてしまいます・・


















この大樽の正面には

カール・フィリップ選定候が定めた

大樽の見張り番「ペルケオ」の像が大樽を現在も監視しています


「樽の見張り番ペルケオ」にまつわる話・・


ペルケオは南チロルのザルーン出身で

カール3世フィリップが選帝侯に就任する前

皇帝のチロル代官として赴任していたインスブルックから

ハイデルベルクの宮廷に道化師として連れて来られました

その際に選定候は冗談で

大樽のワインを全て飲み干す事が出来るか?

と尋ねました・・

その返答は「Perche no?? ペルケ・ノ?」

「もちろん飲めますとも!」というものでした

それ以降

この男はペルケオと呼ばれるようになったそうです

子供の頃からペルケオの唯一の飲物はワインで

1日なんと15本ものワインを飲んでいたそうです

老年になり病に冒された時

医者はペルケオにお酒を禁じます

それに従い水を口にしたペルケオは

翌日亡くなってしまったそうです・・

お水を飲まずにワインを飲み続けていたら

もう少し長生きできたかもですね・・

ペルケオの右にある時計・・

この時計の下から出ているリングを引っ張ると

なんと・・

狐の尻尾が出てくるびっくり箱になっていました・・

ペルケオは貴婦人を驚かせて失神した貴婦人を介抱するのを

楽しみにしていたとか・・


















コンパスとカンナが飾られています・・

大樽を製作したとき使われたものだそうです・・

ハイデルベルク城は

深い歴史があるだけに単に廃城というだけでなく

面白いお話が多いお城でした・・

このあとフリータイムに・・



続く




  1. 2019/04/13(土) 18:37:18|
  2. 世界遺産
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ドイツの旅・・(42)

















城門塔をくぐると目の前にフリードリヒ館・・





















ルプレヒト館・・(画像右側)

フリードリヒ館に目を奪われていると

見逃してしまいそうになるのが

城門塔をくぐってすぐ左にある

ルプレヒト館です・・




















この建物は城の最古の住居館で15世紀の初頭

今から600年くらい前のゴシック様式です

入り口の左側に

建造主であるルプレヒト3世を表す鷲の紋章が残されています




















ルプレヒト館の入り口のところに

花輪をもった2人の天使の彫刻像が掲げらています

伝説によれば

建築を請け負っていた大工の棟梁の双子の子供が

館の完成直前に工事場に来ていて

足場を踏み外して死んでしまいました

双子は

悲しみに沈む父親の夢枕に現れ

翌朝彼が目を覚ますと

昨夜のしおれたバラの花輪が新しい花輪となって

ベットの脇に置かれてあったそうです

そこで大工の棟梁であった父親は

この夢をもとに石の彫刻像を造って

コンパスを彼の職業のシンボルとしてはめこんだらしいです



















フリードリヒ館

1607年にフリードリッヒ4世により建てられて以来

代々の選帝侯の居住館だったところです



















ファサードは砂岩でできていて

歴代の力のあった選帝侯の16の像が飾られています

オリジナルは風化を防ぐために館内に



















日時計のついた細長い建物(左上に日時計が)

その右側の部分が鏡の館・・

最上館にあった広間の壁が

ベネチア産の鏡で覆われていたことから鏡の館と・・

この建物は

右手のオットー・ハインリヒ館との連結部分となっています



















オットー・ハインリッヒ館

1546年にオットー・ハインリッヒによって造られました

彼は大変な巨漢でしたが

大変教養の深い人で天文学・建築学にも造詣が深く

芸術家のパトロンでもあり

このプファルツにプロテスタントを導入した人でもありました



















ドイツ・ルネサンスの最高傑作といわれている

見事な建築なだけに

正面ファサードしか残っていないのが残念です・・

それぞれの階の窓と窓との間に

像を置くためのニッシェ(ひっこみ)があり

それぞれの像にオットー・ハインリッヒは

自分の信条を託しています



















1階には旧約聖書の英雄

ヨシュア・サムソン・ヘラクレス・デイビッドの5人の像

2階には5つの徳(権力、聖書、愛情、希望)を象徴する像が

立っています

3階には農業神である土星・軍神である火星・・

愛と美の女神の金星・技能神である水星・月の女神の像

最上階には太陽神と

神々の王といわれる木星を表す像が立っています

これらの彫像は

オランダ人アレクサンダー・コーリンにより作られました




















フリードリヒ館の右下の通路を抜けると・・




















フリードリヒ館の裏側にでます・・

ここには「アルタン」と呼ばれるテラスが・・


続く





  1. 2019/04/11(木) 10:37:56|
  2. 世界遺産
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ドイツの旅・・(41)




最初にアップしたエリザベス門は

城内に入るための門ではありません

こちらの門から入っていきます



















橋楼

手前に橋楼が・・

その奥にある時計のついている塔が城門塔です

城門塔は1531年~1541年に

ルードヴィヒ5世によって建築され

度重なる戦争に耐えて唯一残った最も古い塔です

橋楼から城門塔の間に石橋が架かっています

もとは木造の跳ね橋だったそうです・・


















城門塔の正面(左画像)

2人の巨人とプファルツの象徴であるライオン

真ん中にプファルツの盾があったようですが

プファルツ継承戦争のときフランス軍に持ち去られ

今もどこにあるかわからないそうです

右上画像

下をくぐると落とし戸で閉鎖できるようになっています・・


















城門塔の城門は通常は入口を閉ざしています

戦時の際は

使者たちは城門にある通用門を出入りしていました

そこには使者が訪れの合図(ノック)に使う

鉄製のリングが取りつけられていました


ハイデルベルク城に残る伝説・・1

ある時

城主がこのリングを噛み切った者に城を譲ると言いました

多くの人が挑んだのですが

ことごとく失敗・・

この事を聞きつけた悪魔が

“我こそ、城主になる!”と

丈夫な歯がボロボロに砕けるまで鉄製のリングに挑戦したものの

成功することができなかったと・・

リングにはその時の小さな噛み跡だけが残されたそうな・・


リングのアップ画像の左下の方に小さなキズが有るのですが

わかりますか?

続く・・




  1. 2019/04/08(月) 08:54:59|
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